退職される芸術学部・髙橋正晴教授が語る 彫刻、そして玉川大学。
この3月で芸術学部を退職される髙橋正晴教授。これまで多くの学生が、髙橋先生から彫刻の指導を受けてきました。1月には大学3号館1階の展示室において「髙橋正晴彫刻展 ―石のかたち―」を開催。在学生はもちろん多くの卒業生が足を運び、大盛況のうちに終了しました。今回は、髙橋先生に玉川での思い出や彫刻の面白さ、そしてこれから芸術をめざす人たちに向けてのメッセージなどを、語ってもらいました。
――髙橋先生ご自身も玉川大学芸術学部出身ですが、なぜ玉川で学ぼうと思われたのでしょうか。
髙橋先生: 私の母が小学校教師として教壇に立っていたのですが、創立者 小原國芳の講演をよく聞きに行っていたそうです。そんな母にどの大学へ進学するべきか相談したところ、玉川大学を勧めてくれました。それが、入学のきっかけですね。大学卒業後はオーストリアに研究生として留学などもしましたが、足かけ40年以上、教員として学生に指導する傍ら、この玉川の丘で創作活動を続けてきました。当初、作品は、当時教えてくださった先生の影響もあり、抽象的なモチーフに取り組んでいました。
――大学教育棟 2014前の玉川池のほとりや、大学2号館の前に立つモニュメント「石のかたち」は髙橋先生の作品ですね。芸術学部の学生が学ぶ大学3号館の前にも同様のモニュメントがありますが、芸術学部を象徴するような存在感がありますね。
髙橋先生: そうですね、40歳頃まではそうした抽象形態の作品を制作していました。ところがそんなある日、学生から「コスモス祭(大学祭)に出展する作品を、先生も一緒につくりませんか?」と誘われたのです。それが、人物を題材にした彫刻でした。抽象形態ばかりを手掛けてきたので当初はとまどいもありましたが、美術の世界には「教師なし先輩あり、教習なし研究あり」という言葉があります。そして玉川学園の教育信条には「師弟間の温情※1」と謳われています。教師と学生という枠を取り払い、共に創作活動に勤しむことも大事だと思い、参加してみました。改めて取り組んでみると想像以上に面白くて…。それ以来ですね、抽象形態ではなく具象の作品に取り組み始めたのは。具象から抽象へと移る彫刻家は多いと思いますが、その逆はあまりいないような気がします。
-虚空(こくう)-
(1985年)
-コスモス-
(1986年)
-音符-
(1980年)
――髙橋先生にとって、彫刻の面白みとはどのようなものなのでしょうか。
髙橋先生: 先ほど具象と抽象と言いましたが、自分の中では共通する部分が多いと、最近感じています。一般的には人の顔や身体が具象で、訳の分からないものが抽象と考えられています。けれども人間の顔にも抽象の要素が含まれていなければ、表現にはなり得ません。たとえば私の作品の一つに、「北上」と名付けた作品があります。これは人の顔をモチーフにした彫刻ですが、私の出身地である宮城県を流れる北上川を表現しています。彫刻を制作するにあたって、私の感性や彫刻の立体感を育ててくれた思いの深い川でもあります。顔という具象であっても、抽象的な(北上川に対する)「優しさ」や「悲しさ」を表現することもできるわけです。その抽象性こそ彫刻表現に必要だと考えると、具象も抽象も同じものだと思えるのです。
――現在芸術を学んでいる学生や、これから芸術を学ぼうと考えている若い世代にメッセージをお願いします。
髙橋先生: やはり芸術を学ぶのであれば、自分なりの芸術論を持つべきだと思います。それをきちんと持ってさえいれば、どんな表現をすればいいのかがおのずと明確になるのではないでしょうか。その芸術論はずっと同じでなくてもよいのです。時代によって変わることもあると思います。そうした変化があるにせよ、常に自分なりの芸術論を持っていることが大事なのです。それと同時に、表現の本質をきちんと捉えることも重要です。たとえば個展などで作品を展示する場合、人に見てもらうことも大事なのですが、私は自分の世界がそこにあるかどうかを展示を通して確認しているんですね。そうしたことから、自分の世界に自信を持つことができると思います。
髙橋先生は退官されますが、その作品はキャンパスのあちこちで目にすることができます。2016年4月には、大学5号館が「ELF Study Hall 2015」として生まれ変わるその入口に、髙橋先生の手による新しいモニュメントが設置される予定です。作品と共に、髙橋先生が学生たちに伝えたかった想いは、これからも玉川大学で生き続けます。
- 1創立者 小原國芳が玉川大学・玉川学園の建学の理念として掲げた「12の教育信条」の1つ。
“師弟の間柄は、温かい信頼に満ちたものでなければならない。温情とは甘やかしを意味するものではない。同じ求道者として厳しさの中にも温かい人間関係を大切にしていくことである。”