国際教育⑤(1986年~1995年)
2023.05.18
文学部芸術学科演劇専攻生による「ベッカンコおに」のカナダ・アメリカ公演を、7都市10会場で開催。玉川学園演劇舞踊団がアメリカ・カナダの8都市で23回公演。カナダ・ナナイモ校地の管理・実験室棟と学生宿泊棟が落成。小学部にて、第1回目のテレビ会議システムによるアメリカのハーカー・スクールとの交流スタート。小学部はハワイのプナホウ校とも交流開始。
年 | 出来事 | 写真 |
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1986年 昭和61年 |
東京サミットにあわせた日本在住の世界各国の子供たちが集っての「エンゼルサミット・イン・トーキョー86」(歌で平和を)という名称の音楽会に小学部6年生の児童全員が参加
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玉川大学名誉教授であるボルノー博士が来園
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中国雲南省より舞踊家である劉金吾女史を招聘
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オーストラリアよりブリズベーン青少年訪日団が来園
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ボルノー博士の直弟子のひとりである李奎浩駐日大韓民国特命全権大使が、ボルノー博士と関係の深い玉川学園に来園 | ||
ブラジルよりアマゾン日伯青少年親善使節団が高等部を訪問 | ||
文学部芸術学科演劇専攻生による「ベッカンコおに」のカナダ・アメリカ公演を、バンクーバーで行われている交通博EXPO’86はじめ7都市10会場で開催 | ||
米国イサカ大学のJ・ウォーレン学長が来園 | ||
タイのタマサート大学よりマタニ・ルプニン女史を含めた一行19名が来園
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1987年 昭和62年 |
ブラジルのサンパウロより松柏学園訪日使節団一行が来園 |
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著名なピアニストであるオーストリアのイエルク・デームス氏が来園
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ハリーア駐日西ドイツ大使とカールステン文化担当官が来園 | ||
本学の招聘で中国山東省より中国教育視察訪日団一行が来園 | ||
1988年 昭和63年 |
スコットランド・スターリング大学への1年間の長期留学制度発足 |
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中国の南開大学日本語学科演劇団一行12名が来園
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外務省からの依頼により、日欧間の青年層の交流促進の一環としてEC加盟国・EC諸機関に勤務する欧州青年日本研修計画一行が、日本文化や日本人と接するために玉川学園を訪れた | ||
中国道徳教育考察団一行11名が来園
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デンマークから招聘したオレロップ国民体操学校専任のニコラス・マークヴァーセン講師の体操指導が行われた
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1989年 平成元年 |
デンマークより、ニコラス・マークヴァーセン講師とハンナ・ビルギッテ講師を招聘
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学校法人玉川学園は、外務省所管の国際協力事業団(JICA)より、国際協力功労による表彰を受ける
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玉川学園演劇舞踊団がアメリカ・カナダの8都市で公演
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創立60周年記念の体育祭で、デンマークのオレロップ体操アカデミー・エリートチームが模範演技を披露
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カナダ・ナナイモ校地において、新設なった管理・実験室棟と学生宿泊棟のオープニングセレモニーが行われた
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1990年 平成2年 |
シュナイダー氏の生誕100年、来日60周年を記念して開催された「シュナイダー祭記念式典」に参加したシュナイダー氏ご子孫一行が玉川学園を訪問
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オーストラリアのメルボルン大学よりキャロル・ニール教授が来園
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玉川大学農学部のミツバチ研究40周年および機関誌「ミツバチ科学」発行10周年を記念しての特別研究会の講演者として、西ドイツのビュルツブルグ大学教授のマーチン・リンダウアー博士を招聘
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カナダのマラスピナ大学(現在のバンクーバーアイランド大学)より、前年のナナイモ校地の管理・実験室棟および学生宿泊棟のオープニングに参加いただいたジョンストン学長夫妻、エナルズ理事長夫妻が来園
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ドイツより声楽家であるイングリット・ハウボルト女史が来園
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1991年 平成3年 |
イタリアのテノール歌手ウィリアム・マッテウッツィ氏とピアニストのパオラ・モリナーリ女史が来園
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文学部芸術学科では今年よりロンドン大学ゴールドスミス・コレッジとの間で留学制度を発足
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山東省教育視察団が本学園を視察
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長年にわたり比較教育学会の指導的役割を果たし、特にソビエト教育研究の第一人者として有名であるアメリカのケント州立大学教授のジェラルド・リード氏が来園
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メレマン・ドイツ経済大臣夫人が、シェール・ドイツ公使夫人や一等書記官らと共に来園 | ||
1992年 平成4年 |
文学部芸術学科学生対象に、スチーブン・ミート氏によるユーフォニアム公開講座を奏楽堂ホールで開催 |
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第5回日米教員養成会議を、アメリカから教師教育の分野で研究と実践に指導的役割を演じている10大学および米国教育大学協会、同じく日本国内12大学の研究者合計48名を集めて、玉川学園講堂を会場として開催 | ||
青少年国際交流富士山清掃登山に本学中学部生5名と大学生10名が参加
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1993年 平成5年 |
ドイツ語を履修していた高等部生たちが、オーストリアのホーフブルク宮殿の火災のことを知り、その復興の一部にとお小遣いを持ち寄り寄付。その行為に感銘したオーストリア大使であるE・シュミット氏が学園を訪問 |
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舞踊教育の世界最高機関であるロンドン大学のラバン・センターから同センターの選抜学生によって構成されているトランジションズ・ダンス・カンパニーが来園
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玉川学園講堂において、研修行事として、ウィーン八重奏団による演奏会を開催 | ||
玉川学園講堂において、研修行事として、ウィーン・レディース管弦楽団による演奏会を開催 | ||
日本私立小学校連合会の第30回東京地区教員研修会が玉川学園小学部を会場として開催。講演は、UCLA教育学部長のセオドア・R・ミッチェル博士による「未来の学校――アメリカの小学校は何をめざすか――」
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玉川学園講堂にて、研修行事として、ザルツブルク・モーツァルトアンサンブルによる演奏会を開催 | ||
1994年 平成6年 |
中学部1年生が秋田県の田沢湖高原でのスキー学校で、オーストリア国家検定スキー教師のソーニャ・ツェリンカ女史から指導を受ける |
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小学部スキー学校は5、6年生を対象に、オーストリア国家検定スキー教師のソーニャ・ツェリンカ女史を招いて、福島県の猪苗代スキー場で行われた | ||
文学部教育学科体育専攻1、2年次生のスキー実習が、オーストリア国家検定スキー教師のソーニャ・ツェリンカ女史を招いて、山形県の蔵王スキー場で行われた | ||
本学農学部と共同研究を行っているドイツのコンスタンツ大学のベーガー教授が来園
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本学小学部とアメリカのハーカー・スクールとの間で、テレビ会議システムによる交歓授業の実験が行われた
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小学部がハワイのプナホウ校との交流開始 | ||
ドイツのベルリン自由大学講師のバルバラ・ドリンク氏が来園
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我が国の教育事情を視察するために国際交流基金の招きにより来日中のドイツのフランクフルト市教育局長であるゲルハーツ氏が来園
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アメリカのペリー・スクールのグロード初等学校長夫妻とジャクソン高校長が来園
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1995年 平成7年 |
カリフォルニア州立大学チコ校と玉川との幼児教育に関する共同研究のため、チコ校に併設されている幼児発達研究所(CDL)のシンディー校長とサンディー主任を招聘 |
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英国のミドルセックス大学演劇学校(演劇科)長のリオン・ルービン教授を招聘
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ノーベル平和賞受賞者である故アルベルト・シュヴァイツァー博士の孫娘にあたるクリスティアーネ・エッケルト夫人が1970年、1972年、1975年に次いで4回目の来園
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本学高等部が交換留学でお世話になっているドイツのゲーテ・ギムナジウムのネスラー校長が来園
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ボストン・カレッジのフイリップ・アルトバック教授が来園
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関連リンク
参考文献
- 小原哲郎監修『全人教育』 玉川大学出版部
第454号~第462号(1986年)、
第463号、第465号、第466号、第468号~第474号(1987年)、
第479号、第481号、第482号、第484号~第486号(1988年)、
第487号、第493号、第495号~第498号(1989年)、
第499号、第502号、第503号、第505号、第506号、第509号(1990年)、
第511号、第516号~第522号(1991年)、
第523号、第524号、第526号~~第532号、第534号(1992年)、
第535号、第539号~第543号(1993年)、
第547号、第549号~第558号(1994年)、
第560号、第561号、第564号~第566号、第568号、第570号(1995年)、
第572号(1996年) - 小原芳明監修『全人』 玉川大学出版部
第696号(2006年)