玉川豆知識 No.197
かつて体育祭では俵奪い、柿取り、竹馬競争、円盤投げ、クロスカントリー、剣道の野仕合、ラグビーの試合などが行われていました
体育祭は玉川学園創立の年である1929(昭和4)年から開催され、さまざまな競技が行われてきました。タイトルに記載された競技のほか、砲丸投げ、マラソン、走り高跳び、走り幅跳び、職員リレー、樽転がし、行進といった種目が、かつての体育祭プログラムに載っています。
1.第1回体育祭
「われわれの競争相手は無限大の大空、確乎不動の大地、しっかり頑張りましょう」の学園長の開会の言葉で始まる体育祭。第1回体育祭は1929(昭和4)年11月22日に開催され、玉川学園の児童・生徒のほか、岡上青年訓練所の生徒、町田・鶴川・柿生・生田・田奈・忠生等の小学校の児童、そして青年団の人たちも参加して行われました。
第1回体育祭のプログラムはつぎの通りでした。午前の部は、百米競走、砲丸投げ、障害物競走、四百米競走、小学部五十米競走、八百米リレー、ハードル競走、小学部二百米競走、俵奪い、走り高跳び、百足競走、柿取り、円盤投げ、クロスカウントリーレース、職員リレー、走り幅跳び、小学部リレー、千五百米競走、玉川ボール、岡上青年訓練所の教練、近郷郡部(町田・鶴川・柿生・生田・田奈・忠生等)小学校および青年団の人たちの入場式。午後の部は、青年団の人たちの百米競走、走り高跳び、マラソン、塾生のピラミットビルディング体操。
2.行進
1932(昭和7)年の第3回体育祭から行進が行われるようになりました。行進は、昼食後に基本的に全員参加で実施。その後も継続的に行われてきましたが、全学部の規模が大きくなり、全体練習の時間の確保が難しくなったことから、1980(昭和55)年の創立50周年記念体育祭(第52回)をもって終了となりました。
3.マラソン
1929(昭和4)年の第1回から行われていたマラソンは、2007(平成19)年の第79回体育祭を最後に終了。マラソン開始当時は、玉川学園→南大谷→町田第1小学校→町田高等学校→玉川学園というコースでした。その後コースは多少変わりましたが、1975(昭和50)年頃まで学外に出るコースで実施。やがて学外の道路交通事情により、学内を周回するコースへと変更されました。
4.職員リレー
第1回大会から実施されていた職員リレーは、1933(昭和8)年の第4回から職員各部リレーという種目名称に変更。1954(昭和29)年の第26回体育祭では、職員年齢別リレーとして、翌年の第27回体育祭からは各部対抗リレーとして実施。しかし、平成になると、怪我をする人が増えたことから、1992(平成4)年の第64回体育祭を最後に行わないこととなりました。
5.写真で見る「めずらしい種目等」
参考文献
- 体育祭の歴史編集委員会編『玉川学園・玉川大学 体育祭の歴史』 玉川学園・玉川大学体育・スポーツセンター 2009年
- 小原芳明監修『全人』第789号 玉川大学出版部 2014年