玉川の「第九」
玉川大学では、1年生全員がベートーヴェンの「交響曲第9番ニ短調 作品125(合唱付)」終楽章<歓喜に寄せて>(以下、「第九」)を、毎年12月の大学音楽祭で合唱、演奏している。その「第九」と玉川学園との出会いは83年前まで遡る。
1.玉川学園と「第九」の出会い
小原國芳が交響曲にかかわったのは、新宿牛込の成城小学校教員時代。関東大震災に遭い練習場を求めていた山田耕筰(「赤とんぼ」「からたちの花」などの作曲家)との出会いからである。これが遠因となって玉川の「第九」の合唱や管弦楽団が生まれた。
―『全人』No.703(玉川大学出版部/2007年)の『故きを温ねて』より引用-
「玉川学園出演」と正式に記録された初の「第九」合唱は、1936(昭和11)年5月28日、日比谷公会堂で開催された「オリンピック蹴球選手送別音楽会」においてのこと。大日本合唱連盟の一員として、玉川学園が成城学園合唱団とともにステージに立った。指揮は貴志康一、演奏は新交響楽団(後の日本交響楽団、現在のNHK交響楽団)。
本格的に玉川学園の生徒が舞台に立ったのは、その翌年、1937(昭和12)年5月。新交響楽団の指揮者として来日したローゼンシュトックのベートーヴェンチクルス最終日を飾る「第九交響曲」に、東京高等音楽学院(後の国立音楽学校、現在の国立音楽大学)とともに玉川学園が出演した。この時のことを小原國芳が次のように記している。
昭和12年、ローゼンシュトックさんや新響の方々の依頼で、ベートーヴェンの第九交響曲『合唱付』の舞台に立つことになりました。国立音楽学校さんが数十名、私たち玉川は中学生以上二、三百名全員が出させていただきました。
國芳にとって生徒たちに「第九」を歌わせることは、「世界の名曲を歌えた喜び、舞台に立てた喜び」を持たせることであり、それ自身「大きな教育」であった。翌1938(昭和13)年の「第九」合唱にも東京高等音楽学院生とともに玉川生が出演。合唱団約300名のうち、本学の中学部生および女学部生が約250名であった。以後、毎年のように新交響楽団との演奏会は続き、年末の「第九」合唱は恒例になっていった。
2.「年末には第九」が恒例行事に
1935(昭和10)年から1955(昭和30)年代にかけては、玉川学園は合唱出演の依頼を受けて、新交響楽団と共演していた。1937(昭和12)年からはドイツの著名な指揮者ローゼンシュトックより、優しさの中にも厳しい指導を受け、ドイツ語の発音も徹底的に教わった。同年5月5日の「第九」はローゼンシュトックの指揮で日比谷公会堂にて行われ、午後8時55分から9時30分にかけて東京放送にて第4楽章が中継放送された。
鈴木淑弘著『第九と日本人』(春秋社発行)によれば、この時の「第九」には、その後のわが国の「第九」演奏にかかわるきわめて重要な話が伝えられていたとのこと。そのことについて、この演奏会に合唱団員として参加した柴田南雄が「NHK交響楽団の歴史」の中で次のように記述している。
筆者は一九三七年(昭和十二年)五月にローゼンシュトック指揮の「第九」を成城合唱団のメンバーとして歌ったことがあり、その時のローゼンシュトックの談話の中に次のような一節があった。それはドイツでは大晦日から元旦にかけて、ちょうど年の変わり目の深夜にラジオ放送で「第九」をやる習慣があり、ローゼンシュトック氏も先年その番組でベルリン・フィルハーモニーを振ったが、その感激は一生忘れないだろう、というものであった。
柴田南雄はこのあと現在わが国で行われている年末の「第九」は、少なくともローゼンシュトックのこの談話につながる企画であろうと想像すると結んでいる。
当時「第九」は5月か6月頃に演奏されていたが、翌1938(昭和13)年の「第九」演奏は、12月26日、27日に築地の歌舞伎座で行われた。この演奏は大成功を収め、これがきっかけとなり、日本で「第九」が12月の恒例行事として行われるようになったとも言われている。
【1943(昭和18)年の3月までの玉川学園が参加した主な第九交響曲演奏会一覧】
演奏は、新交響楽団(1942年4月まで)、日本交響楽団(1942年5月より)。いずれもNHK交響楽団の前身。
年/西暦 | 月 | 日 | 演奏会名 | 会場 | 指揮者 |
---|---|---|---|---|---|
1936 | 5 | 28 | オリンピック蹴球選手送別音楽会 | 日比谷公会堂 | 貴志康一 |
1937 | 5 | 5 | 新響179回定期演奏会 ベートーヴェンチクルス |
日比谷公会堂 | ローゼンシュトック |
6 | 新響特別演奏会 | 日比谷公会堂 | ローゼンシュトック | ||
12 | 1 | 東京ミュージックアカデミー ベートーヴェンの会 |
日比谷公会堂 | 山田耕筰 | |
1938 | 6 | 15・16 | 新響193回定期演奏会 | 日比谷公会堂 | ローゼンシュトック |
10 | 28・29・30 | 新響演奏旅行 | 大阪朝日会館 | ローゼンシュトック | |
12 | 26・27 | 新響特別演奏会 | 東京 歌舞伎座 | ローゼンシュトック | |
1939 | 5 | 20 | 放送会館こけらおとし | 内幸町 放送会館 第2スタジオ |
ローゼンシュトック |
1940 | 5 | 5・6 | 新響217回定期演奏会 | 日比谷公会堂 | ローゼンシュトック |
12 | 31 | 2600年記念演奏会 | 内幸町 放送会館 第3スタジオ |
ローゼンシュトック | |
1942 | 1 | 3 | NHKラジオ放送 | 内幸町 放送会館 第3スタジオ |
ローゼンシュトック |
5 | 2 | 新響演奏会 | 日比谷公会堂 | 山田一雄 | |
12 | 26・27 | 日響特別演奏会 | 日比谷公会堂 | 山田一雄 | |
1943 | 3 | 23(2回) | 建艦資金献納音楽会 | 名古屋公会堂 | 山田一雄 |
25・26 | 建艦資金献納音楽会 | 大阪朝日会館 | 山田一雄 | ||
27(2回) | 建艦資金献納音楽会 | 大阪朝日会館 | ローゼンシュトック |
藤井百合著「小原國芳と音楽教育―玉川学園の第九と共に歩んだ道(Ⅰ)―」(『論叢』10号玉川学園女子短期大学 1986年 に所収)より引用
戦後わが国で初めて演奏された「第九」演奏会に玉川学園が参加。時は1945(昭和20)年12月。会場は廃墟の中に立つ日比谷公会堂。指揮はローゼンシュトック。その後も「第九」演奏会への玉川学園の参加は続いた。1947(昭和22)年からはピアノの名手であるレオニード・クロイツァーが指揮を担当した。
1951(昭和26)年、後楽園スタジアムでの日響サマーコンサートでの「第九」を最後に、1936(昭和11)年から16年間続いた日響公演への玉川学園出演は幕を閉じた。しかし、翌々年の1953(昭和28)年7月12日、前年から開催されるようになった「玉川の集い」の最後に、「第九」終楽章の演奏が行われた。指揮は岡本敏明。演奏は国立音大管弦楽団。場所は日本青年館ホール。
その後、玉川学園は、東京フィルハーモニーの「第九」演奏会をはじめ、フジセイテツコンサート、早稲田大学75周年記念の「第九」に賛助出演。1960(昭和35)年7月3日には文京公会堂にて玉川学園演奏会の名で音楽祭が開催され、近衛秀麿の指揮のもとABC交響楽団による「第九」が演奏された。これが玉川学園が主催した初めての「第九」演奏会であった。
この演奏会に参加した、当時、文学部教育学科4年生で、後に脚本家となり「ウルトラマン」など多数の作品を手がけた金城哲夫さんが、『全人教育』No.132(玉川学園出版部/1960年)に次のような出演者としての声を寄せている。
歓喜の最高頂をオーケストラと合唱団が天井を吹き飛ばすような音でうたう頃、私はこれが最後の「第九」かと身をふるわせて声の限りにうたった。指揮者の近衛秀麿先生の姿が、岡本敏明先生、小山章三先生の姿にスレ変る。「第九」を暗記するのに苦しい思いをした高校生の頃の音楽担当の先生だ。歓喜の楽章はいよいよ高まってゆく。「間違ってもいいんだ、デッカイ声でやれ!」と教えられた先輩たち。みんながそこに立って歌っているようだ。同じ歌、同じ玉川っ子。馴染深いソリスト。合唱は終った。オーケストラが急テンポに最後の楽章を奏し「第九」は終った。
湧き上る嵐の拍手の中で私はまだ七年間の想い出の中に身を置いているようであった。私は感動で動けないほどだった。
3.オール玉川での「第九」演奏
合唱、オーケストラ、指揮等を玉川学園の教員、学生・生徒、卒業生だけで行った第九交響曲の公演は、1962(昭和37)年12月16日のこと。玉川学園音楽祭で、場所は文京公会堂。1959(昭和34)年、「第九」を演奏するためにわずか10数名の有志たちによって始められ年を追うごとに人数を増やしていった玉川大学のオーケストラ(玉川大学管弦楽団)が第4楽章を演奏し、教員である谷本智希が指揮を担当し、独唱は学生と卒業生。合唱は、大学生と高等部生1,500名。当時高等部1年生の現学長・学園長の小原芳明も合唱団の一員として舞台に立っていた。奇しくも、12月16日はベートーヴェンの誕生日であった。
1967(昭和42)年12月の東京文化会館での玉川学園音楽祭は高等部3年生と大学生による「第九」の合唱であったが、翌年より大学1年生のみの合唱となった。
玉川大学管弦楽団が「第九」全楽章を初めて演奏したのは、1969(昭和44)年2月9日のことだった。場所は本学の礼拝堂。
國芳はそのときの様子を、『全人教育』No.235(玉川学園出版部/1969年)に次のように記述している。
二階の座席で、涙しいしい、はじめから、ずっと聴かせてもらいました。
(略)
私の夢はゼヒ、オーケストラも、四人の独唱者も、指揮者も、歌い手も、みな学園で、いつかはやってみたいのが念願だったのです。第四楽章だけなら数年前からやれましたが、今はじめて、全楽章を全部、玉川っ子たちだけでやれたのです。
やはり、一仕事、五十年はかかるのだと、ただただ泣けて泣けて仕様がなかったのです。うれしい一日でした。
よう、みな、やってくれた!
そして同年12月、玉川大学管弦楽団は、東京文化会館で「第九」全楽章を演奏した。指揮はウィーン留学から戻ってきた藤本晃。玉川学園創立40周年記念「玉川学園音楽祭」でのことであった。
その後「第九」を演奏する音楽祭は、1960(昭和35)年、1962(昭和37)年、1963(昭和38)年は文京公会堂、1961(昭和36)年は東京厚生年金会館、1964(昭和39)年から1969(昭和44)年までは東京文化会館で行われた。1968(昭和43)年からは、「音楽」を大学1年生の必修科目とし、毎年音楽祭を開催して第九演奏・合唱を披露している。音楽祭は、1970(昭和45)年から1987(昭和62)年までは立正佼成会普門館で開催。
1988(昭和63)年は昭和天皇の重篤の関係で学内の大体育館で、翌1989(平成元)年は玉川学園創立60周年記念音楽祭として日本武道館で行われた。1990(平成2)年から2011(平成23)年までは再び立正佼成会普門館、2012(平成24)年から現在まではパシフィコ横浜にて開催されている。
1980(昭和55)年には「玉川学園創立50周年記念第九演奏会」(新宿文化センター大ホール)と「玉川学園創立50周年記念音楽祭」(立正佼成会普門館)が開催された。そして翌年から、「音楽祭」のほかに「第九」演奏会が行われるようになった。
4.「第九」演奏会
年/西暦 | 月 | 日 | 指揮者 | ソリスト ソプラノ、アルト、テノール、バス メゾソプラノ バリトン | 会場 |
---|---|---|---|---|---|
1981 | 11 | 26 | 藤本晃 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | 厚木市文化会館 |
1982 | 11 | 24 | 石丸寛 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | 東京厚生年金会館 |
1983 | 11 | 25 | 石丸寛 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | 東京厚生年金会館 |
1984 | 11 | 19 | 石丸寛 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | 東京厚生年金会館 |
1985 | 11 | 15 | 山田一雄 | 本宮寛子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 東京厚生年金会館 |
1986 | 11 | 21 | 山田一雄 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | 東京厚生年金会館 |
1987 | 11 | 18 | 山田一雄 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | サントリーホール |
1988 | 昭和天皇の重篤の関係で自粛 | ||||
1989 | 11 | 28 | 石丸寛 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | 東急文化村オーチャードホール |
1990 | 10 | 20 | 石丸寛 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | 東急文化村オーチャードホール |
1991 | 11 | 30 | 石丸寛 | 東敦子、西明美、下野昇、栗林義信 | 東急文化村オーチャードホール |
1992 | 12 | 1 | 石丸寛 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | サントリーホール |
1993 | 12 | 1 | 石丸寛 | 東敦子、西明美、下野昇、岡村喬生 | サントリーホール |
1994 | 12 | 4 | 石丸寛 | 東敦子、妻鳥純子、下野昇、岡村喬生 | サントリーホール |
1995 | 12 | 1 | 石丸寛 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | サントリーホール |
1996 | 特別演奏会を実施 | ||||
1997 | 12 | 1 | 石丸寛 | 大倉由紀枝、西明美、下野昇、島村武男 | サントリーホール |
1998 | 12 | 2 | 荒谷俊治 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、福井敬、牧野正人 | サントリーホール |
1999 | 12 | 5 | 荒谷俊治 | 大倉由紀枝、永井和子、吉田浩之、末吉利行 | サントリーホール |
2000 | 12 | 2 | 荒谷俊治 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、福島明也 | サントリーホール |
2001 | 12 | 2 | 荒谷俊治 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2002 | 12 | 2 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2003 | 12 | 2 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、寺谷千枝子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2004 | 12 | 1 | 矢崎彦太郎 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2005 | 12 | 4 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2006 | 12 | 1 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2007 | 12 | 3 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2008 | 12 | 1 | 大友直人 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2009 | 12 | 8 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2010 | 12 | 7 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2011 | 12 | 1 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2012 | 12 | 9 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、市原多朗、木村俊光 | サントリーホール |
2013 | 12 | 2 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
2014 | 12 | 7 | 秋山和慶 | 大倉由紀枝、永井和子、錦織健、木村俊光 | サントリーホール |
- 2014年12月7日に開催された演奏会が、最後の「第九」演奏会となった。
5.大学音楽祭
年/西暦 | 月 | 日 | 指揮者 | ソリスト ソプラノ、アルト、テノール、バス メゾソプラノ バリトン | 会場 |
---|---|---|---|---|---|
1960 | 7 | 3 | 近衛秀麿 | 伊藤京子、川崎静子、笹谷栄一郎、秋元雅一郎 | 文京公会堂 |
1961 | 11 | 23 | 近衛秀麿 | 伊藤京子、川崎静子、笹谷栄一郎、秋元雅一郎 | 東京厚生年金会館 |
1962 | 12 | 16 | 谷本智希 | 古賀三千代、斎藤久美子、中山和彦、呉竹英一 | 文京公会堂 |
1963 | 12 | 8 | 藤本晃 | 古賀三千代、斎藤久美子、中山和彦、菅吉信 | 文京公会堂 |
1964 | 12 | 3 | 小森宗太郎 | 古賀三千代、梅村郁子、中山和彦、菅吉信 | 東京文化会館 |
1965 | 12 | 11 12 |
藤本晃 | ①永田史子、上原明子、小川好計、加藤泰久 ②古賀三千代、梅村郁子、中山和彦、大滝正敏 |
東京文化会館 |
1966 | 12 | 10 | 谷本智希 | ①中田満子、上原明子、小川好計、宇都宮直 ②永田史子、梅村郁子、中山和彦、鏑木健彦 |
東京文化会館 |
1967 | 12 | 9 | 土居克行 | ①森みち江、保角延子、中山和彦、鏑木健彦 ②吉田浩子、赤堀和代、小川好計、塩見明洋 |
東京文化会館 |
1968 | 11 | 24 | 高森義文 | ①吉田浩子、赤堀和代、島袋亨、鏑木健彦 ②中田満子、伊集院せい子、中山和彦、塩見明洋 |
東京文化会館 |
1969 | 12 | 8 9 |
宮城勝久 | ①森みち江、伊集院せい子、近藤勝美、内海克実 ②畑野広美、伊集院せい子、近藤勝美、村上寛樹 【創立40周年記念音楽祭】 |
東京文化会館 |
藤本晃 | 坂上昌子、金森静子、中井進、津田孝雄 【夜の部で全楽章を演奏】 |
||||
1970 | 11 | 28 | 石垣良彦 | ①畑野広美、本間にい子、近藤勝美、村上寛樹 ②山下清子、中沢延子、近藤勝美、佐藤真悟 ③吉田浩子、中沢延子、近藤勝美、宮寺勇 |
立正佼成会普門館 |
1971 | 12 | 4 | 安本高裕 | ①松田やよい、柳原三千枝、近藤勝美、村上寛樹 ②和泉和子、新野啓子、新田峯夫、佐藤真悟 |
立正佼成会普門館 |
1972 | 12 | 2 | 佐々木親綱 | ①田中照美、加藤祥子、伊藤豊、佐藤真悟 ②和泉和子、佐藤多恵子、新田峯夫、宮寺勇 |
立正佼成会普門館 |
9 | 藤本晃 | 坂上昌子、金森静子、江口正之、移川澄也 【全楽章を演奏】 |
東京文化会館 | ||
1973 | 12 | 5 | 中井進 | ①田中照美、加藤祥子、斎藤正、村上寛樹 ②伊藤依子、小野寺由美子、嶋田澄夫、宮寺勇 |
立正佼成会普門館 |
1974 | 12 | 7 | 江口正之 | ①伊藤依子、小野寺由美子、山本九里雄、石橋一秀 ②森真理子、古橋宣子、真下政久、北山聡 |
立正佼成会普門館 |
1975 | 12 | 6 | 高森義文 | ①森真理子、小野寺由美子、山本九里雄、安藤俊典 ②笹本理恵子、伊藤啓子、斎藤正、藤江真琴 |
立正佼成会普門館 |
1976 | 12 | 4 | 岡野哲也 | ①笹本理恵子、伊藤啓子、田中豊平、藤江真琴 ②吉村温子、水田温子、三森敏、鎌野昌博 |
立正佼成会普門館 |
1977 | 12 | 3 | 寺田秀彦 | ①石垣恵、志道良子、赤松記和男、鎌野昌博 ②吉村温子、水田温子、三森敏、藤江真琴 |
立正佼成会普門館 |
1978 | 11 | 21 | 石垣良彦 | 坂上昌子、井上美沙子、中井進、岡田有弘 | 立正佼成会普門館 |
1979 | 12 | 1 | 宮城勝久 | 荒川美代子、鬼頭礼子、中井進、西義一 | 立正佼成会普門館 |
1980 | 12 | 5 | 藤本晃 | 高坂典子、永井信子、江口正之、村上寛樹 【創立50周年記念音楽祭】 |
立正佼成会普門館 |
1981 | 12 | 4 | 朝日育也 | 吉村温子、井上美沙子、中井進、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1982 | 12 | 3 | 高浪晋一 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、中井進、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1983 | 12 | 1 | 田中旭 | 吉村温子、妻鳥純子、江口正之、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1984 | 12 | 1 | 高森義文 | 吉村温子、妻鳥純子、中井進、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1985 | 11 | 30 | 宮城勝久 | 本宮寛子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1986 | 12 | 2 | 朝日育也 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1987 | 12 | 2 | 江口正之 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1988 | 11 | 30 | 高浪晋一 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 【昭和天皇重篤のため学内で開催】 |
玉川学園大体育館 |
1989 | 11 | 29 | 田中旭 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 【創立60周年記念音楽祭】 |
日本武道館 |
1990 | 12 | 6 | 高森義文 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、中井進、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1991 | 12 | 11 | 宮城勝久 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1992 | 12 | 11 | 朝日育也 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1993 | 12 | 11 | 江口正之 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1994 | 12 | 10 | 田中旭 | 吉村温子、井上美沙子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1995 | 12 | 9 | 梅沢一彦 | 吉村温子、井上美沙子、市川和彦、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1996 | 12 | 14 | 高森義文 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1997 | 12 | 13 | 藤澤眞理 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1998 | 12 | 12 | 宮城勝久 | 清野美也子、桑原裕美、市川和彦、近藤均 | 立正佼成会普門館 |
1999 | 12 | 11 | 江口正之 | 星野志保、桑原裕美、富澤祥行、大塚博章 【創立70周年記念音楽祭】 |
立正佼成会普門館 |
2000 | 12 | 9 | 木下則文 | 星野志保、桑原裕美、若林高広、柿沼伸美 | 立正佼成会普門館 |
2001 | 12 | 15 | 田中旭 | 清野美也子、山本奈保子、梅沢一彦、藤澤眞理 | 立正佼成会普門館 |
2002 | 12 | 14 | 高森義文 | 宮嶋明香、中村裕美、梅沢一彦、藤澤眞理 | 立正佼成会普門館 |
2003 | 12 | 13 | 宮城勝久 | 星野志保、山崎知子、市川和彦、立花敏弘 | 立正佼成会普門館 |
2004 | 12 | 18 | ①千葉佑 ②木下則文 |
①宮嶋明香、山本奈保子、富澤祥行、柿沼伸美 ②清野美也子、中村裕美、若林高広、柿沼伸美 |
立正佼成会普門館 |
2005 | 12 | 17 | ①藤澤眞理 ②千葉佑 |
①星野志保、中村裕美、富澤祥行、大塚博章 ②清野美也子、中村裕美、若林高広、大塚博章 |
立正佼成会普門館 |
2006 | 12 | 16 | ①梅沢一彦 ②江口正之 ③梅沢一彦 |
①宮嶋明香、山本奈保子、平田孝二、立花敏弘 ②青木律、山中理沙、中田哲彦、磯野裕之 ③宮嶋明香、山本奈保子、平田孝二、立花敏弘 |
立正佼成会普門館 |
2007 | 12 | 15 | ①江口正之 ②千葉佑 ③江口正之 |
①宮嶋明香、山中理沙、若林高広、磯野裕之 ②星野志保、中村裕美、富澤祥行、金子宏 ③宮嶋明香、山中理沙、若林高広、磯野裕之 |
立正佼成会普門館 |
2008 | 12 | 13 | ①藤澤眞理 ②木下則文 ③千葉佑 |
①佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、金子宏 ②宮嶋明香、山中理沙、中田哲彦、磯野裕之 ③佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、金子宏 |
立正佼成会普門館 |
2009 | 12 | 12 | ①木下則文 ②馬場眞二 ③藤澤眞理 |
①星野志保、中村裕美、富澤祥行、柿沼伸美 ②宮嶋明香、山中理沙、中田哲彦、磯野裕之 ③星野志保、中村裕美、富澤祥行、柿沼伸美 |
立正佼成会普門館 |
2010 | 12 | 11 | ①馬場眞二 ②小佐野圭 ③木下則文 |
①松原有奈、西けい子、平田孝二、立花敏弘 ②佐藤恵利、中村裕美、與儀巧、佐藤勝司 ③松原有奈、西けい子、平田孝二、立花敏弘 |
立正佼成会普門館 |
2011 | 12 | 17 | ①小佐野圭 ②藤澤眞理 ③馬場眞二 |
①佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、柿沼伸美 ②宮嶋明香、山中理沙、奥田順也、佐藤勝司 ③佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、柿沼伸美 |
立正佼成会普門館 |
2012 | 12 | 18 | ①藤澤眞理 ②朝日公哉 ③小佐野圭 |
①坂口喜江、飯島由利江、芦田瑞樹、柿沼伸美 ②池田ひろみ、山中理沙、中田哲彦、三ツ本晴彦 ③宮嶋明香、中村裕美、富澤祥行、大塚博章 |
パシフィコ横浜 |
2013 | 12 | 20 | ①馬場眞二 ②朝日公哉 |
①齊藤智子、加形裕子、芦田瑞樹、大塚博章 ②星野志保、飯島由利江、富澤祥行、大塚博章 |
パシフィコ横浜 |
2014 | 12 | 20 | 小佐野圭 | ①齊藤智子、加形裕子、芦田瑞樹、岸本大 ②宮嶋明香、飯島由利江、富澤祥行、大塚博章 |
パシフィコ横浜 |
2015 | 12 | 19 | 朝日公哉 | ①齊藤智子、加形裕子、富澤祥行、岸本大 ②宮嶋明香、飯島由利江、陣内俊生、大塚博章 |
パシフィコ横浜 |
2016 | 12 | 20 | 馬場眞二 | ①齊藤智子、加形裕子、奥田順也、金子宏 ②宮嶋明香、飯島由利江、陣内俊生、大塚博章 |
パシフィコ横浜 |
2017 | 12 | 19 | ①野本由紀夫 ②小佐野圭 |
①齊藤智子、加形裕子、富澤祥行、金子宏 ②宮嶋明香、飯島由利江、長裕二、馬場眞二 |
パシフィコ横浜 |
- 1977(昭和52)年まではソリストに学生も加わっていた。
現在も、玉川大学では、8学部17学科の1年生全員が「音楽」を必修科目として受講。その授業の中で、「第九」をドイツ語で歌う。12月にはその成果を玉川大学音楽祭として、パシフィコ横浜のステージで披露している。
また、2011(平成23)年4月3日には、日独交流150周年記念演奏会がドイツのベルリンにあるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートホールで開催された。その演奏会での「第九」演奏に、玉川からの有志31名がオーケストラと合唱で参加した。
関連サイト
参考文献
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史写真編』 玉川学園 1980年
- 小原國芳著「私の音楽教育八十五年」(迫新市郎著『私の音楽教育八十五年-創造性を高める-』玉川大学出版部 1971年 のP.202~P.221に所収)
- 藤井百合著「小原國芳と音楽教育―玉川学園の第九と共に歩んだ道(Ⅰ)―」(『論叢』10号 玉川学園女子短期大学 1986年 に所収)
- 藤井百合著『小原國芳と音楽教育―玉川学園の第九と共に歩んだ道(Ⅱ)―』(『論叢』11号 玉川学園女子短期大学 1987年 に所収)
- 石橋哲成著「玉川学園における『第九』演奏の歴史」(『新教育運動の展開、小原國芳の全人教育思想、そして玉川学園の教育』 玉川大学学術研究所 2013年 に所収)
- 鈴木淑弘著『第九と日本人』 春秋社 1998年
- 小原國芳監修『全人教育』No.132 玉川学園出版部 1960年
- 小原國芳監修『全人教育』No.235 玉川学園出版部 1969年
- 小原芳明監修『ZENJIN』No.673 玉川大学出版部 2004年
- 小原芳明監修『全人』No.703 玉川大学出版部 2007年
- 小原芳明監修『全人』No.751 玉川大学出版部 2011年
- 小原芳明監修『全人』No.756 玉川大学出版部 2011年
- 小原芳明監修『全人』No.780 玉川大学出版部 2014年
- 小原芳明監修『全人』No.800 玉川大学出版部 2015年
- 白柳弘幸著『故きを温ねて』 (小原芳明監修『ZENJIN』No.673 玉川大学出版部 2004年 に所収)
- 白柳弘幸著『故きを温ねて』 (小原芳明監修『全人』No.703 玉川大学出版部 2007年 に所収)
- 白柳弘幸著『玉川の丘めぐり』 (小原芳明監修『全人』No.756 玉川大学出版部 2011年 に所収)
- 『玉川学園・玉川大学の教育活動』 玉川学園 2008年